伊語とイタリアふつう生活 
by zefiro04
「祈り」のある生活
幼稚園がお寺だったためか、子供の頃から「祈る」ということが
今でも日常になっている。
日本に居る時も、道すがら神社やお寺があれば、ちょっと
手を合わせるなり、頭を下げるなりして通り過ぎていた。

今は、幼稚園の卒園祝いでもらった、小さな手を合わせている人形に
毎朝ちょこっと手を合わせ、アパ-トの階段に飾ってあるマリアさんの
肖像画に軽く頭を下げ、モナリザの肖像画に「今日も機嫌イイじゃん」
と声を掛け、家を後にする。

学校のある町にバスで着くと、時間のある時は教会へ寄り、一休みして
から授業へ向かう。

教会に座っていると、ひっきりなしに人が訪れ、祈ってゆく。
深く祈る人、軽くマリアさんに挨拶し足早に立ち去って行く人。。
小学生や会社員、主婦や老人。。。年齢も服装も様々だ。

神を信じない人を 「ATEO」アテオ と呼ぶ。
私は信じるも信じないも、人それぞれで良いと思っているが、
何かに迷った時、すがりたい時、誰にも話せないけど話したい時に
ちょこっと気軽に立ち寄れ、祈る、という形にせよ、誰かに相談できる
場所があるのはとても良いことだと思う。

先日、タイ人のクラスメ-トに、教会の合唱に参加してることを話したら
「エ--、あなた仏教徒でしょ--」と驚いていた。

よくも悪くも「eqiovoca e flessibile」曖昧かつ柔軟、な民族性によるものか...
自分としては、この柔軟性(?)のおかげで享受できる恩恵に感謝している。
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by zefiro04 | 2004-11-17 17:45 | ほんの日常
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