伊語とイタリアふつう生活 
by zefiro04
神のジオラマ
1月初旬の天気の良い寒い日、思いもかけず車で山を登る機会を得た。

ウィンタースポーツと温泉で有名な町の麓から、車で20分ほどのぼったところに、
バーベキューのできる小さなピクニック場がある。といっても、火をおこすための石を積み上げたバーベキュー台と椅子とテーブルーがいくつか置いてあるだけだ。

四方はアルプスの山々に囲まれ、空は真っ青。ひとつの雲も浮いていない。
山々は太陽の影の加減で大きく表情を変える。
日が当たらないために雪が溶けず真っ白であったり、その反対に日が燦々と当たり、深い緑で覆われているもの、砂の地肌が見えているもの、表情は様々だ。

それにしても静かで。。。。信じられないくらいの静けさで、風もなく、
何も動くものがない明るい日の光の中、寒さに震えていたら、不思議な感覚に襲われた。

「神がジオラマをつくっていて、その一部の飾りとして私たちを置いてみたのじゃないか?」

本気でそう思えるほど、非現実的に美しい景色の中にいた。

そんなことを考えいて数分がたったころ、親子連れ三人がやってきて車を降りた。
私たちの座っているところからだと、彼らは私の親指第一関節ほどの大きさだ。
けっこう離れていると思うが、彼らが歩く時に蹴る砂の音が聞こえる。

ジャッ、ジャッ

その音が遠くから聞こえてくるのか、近くからなのか音の距離感がつかめない中、
隣に座っている相方に
「この景色って、神がつくったジオラマみたいじゃない?神がこの山のどこかから覗き込んでたりして~で、やっぱり人でも置かないとさびしいからってことで私たちがいるわけよ。どお?」と言ってみたら
「ディオラマ。。。プふふふふぅ。。」
「。。。?もしかして、神のディオとかけてディオラマとか言っちゃった?」
「そうそう、プふふふふ」
「ハぁ。。。。」

アダムとイヴの話しがあったけど、神は彼らを創る時に性格や個性はインプットしたのだろうか。。。していたとしても、相方のようではないだろな~と、ディオラマの一言で現実に引き戻され、フッと思ってしまった。

それと、「あれっ」と思ったことがある。
ここにはひとつもゴミ箱が置かれていないのに、ひとつもゴミが落ちていないのだ。
これだけの美しい景色を前にすると、ゴミを捨てる気が起きないのだろうか。。。
それともこの景色はやはりディオラマで、ゴミは神の望む存在ではないということなのか。。。
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by zefiro04 | 2005-01-11 05:06 | そんな旅もありました
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