伊語とイタリアふつう生活 
by zefiro04
カテゴリ:ひと( 26 )
脳柔度
年末の英語の講習会の参加者は、個性的な人物が多くなかなか楽しめた。
その中に、みなから「シィニョ-ラ」と親しみを込めてよばれる、80歳前後の老婦人が参加していた。頭にメガネを粋にのせ、ヒョウ柄の毛皮を着て颯爽と現れ、ガラガラ声で「チャ--オ」と挨拶し、気ままな時間にやって来る。

そんなシィニョ-ラとたまたま席が隣合わせたことをきっかけに、
講師から「わかんないことは彼女に聞いてね」(丸投げかっ!?)と私に任されることに。

シィニョ-ラはフランス、スペイン語は分かるが、英語はエービーシーの読み方も初めてであるとのことで、大学生の補習と化してしまった授業について行くのは当然、困難。。。。
このレベル差で分からないところはバンバン質問しまくりの生徒たちを、新米先生に仕切れようもはずもなく、とりあえず超初心者の質問を答える相手として私を指名した、というわけだ。

ご指名を受けた時は「ヴぇ?!」と声にならない声を発しそうになったが(伊語も英語もまずい私にゃ荷が重すぎる。。)これが意外に勉強になり、おもしろい経験になった。

シィニョ-ラとのやりとりはイタリア語で、主に単語の意味や発音を教えたりする。
英→伊語、その反対もしかりでのやりとりをするので、今までになかった頭の使い方を体験することができた。

このシィニョ-ラ、短気なお方で、思うように理解が進まないと、イタリア人特有のジェスチャ-で5本の指の先端を合わせて上下に揺らし、イライラ感を露にする。

人は年とともにまるくなるというのは、ウソだな。。。
などと、自分の教え方のまずさは棚にあげ、ひとりごちながらシニョ-ラの学習のお供をさせていただいていた。

ある時、「ちょっと、やっぱりこの発音、だと思うのよ。んんん。。テよテ」と何度も読みかたを教えたはずの「The」という発音に納得がいかないとシィニョ-ラが問いかけてきた。
「いえ、です。私は英語ができませんが、これはここでは自信をもってです」の私の答えにいつものイライラジェスチャ-で
「あんたねぇ。日本人だったら、テぐらい読めないと恥ずかしいわヨ!」と一喝されてしまった。。。

目からウロコ。。。

上手く説明できないが、ガツ-ンと衝撃を感じてしまった。
、なんて考えたことなかった。。。テって、お茶のテか。。。

もしかしたら思い込みで、語学に限らず可能性を狭めてしまっていることが沢山あるんじゃないか?そんなところにシィニョ-ラの言葉から考えが行き着いてしまった。。。。

最終日にシィニョ-ラに「なぜ英語を始めようと思ったんですか?」と聞いてみた。

「あんたねぇ、いまどき英語ぐらい話せなくてどうすんのよ」とシィニョ-ラ。
「。。。。。」

年をとっているのは私のほうかもしれない。。。
と変化に弱く頭の固い私を考え込ませてくれる出会いであった。。。
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by zefiro04 | 2005-01-21 23:38 | ひと
怒れる人
バスが停留場で止まったおり、運転手が4人がけの向かい合わせの座席に座っている学生が前の座席に土足で足を乗せているのに気付いたらしく

「これは俺のバスだ。座席に足を乗せるのはやめてくれ!俺と俺のバスに敬意を払ってくれ!」と言い放った。

イタリアは人が悪くなってきた。。と言うイタリア人の言葉を何度か耳にしたことがある。
確かに、たびたび傍若無人ぶりが目にあまる人たちにも出くわすが、
同時にその彼らに怒れる大人も、私は目にしてきた。

そして、その度に私は「安心」を感じている自分に気付く。
危険に迫られても、誰かが手をさしのべてくれるのでは、と思える「安心」だ。

以前、都内でアルバイトをしている時、仕事上の義務から、あるお客さんに注意をしたことがある。「申し訳ありませんが。。。」という形でだが、そのお客さんは逆ギレで
「お客の俺になに言いやがる!」と大声で怒鳴りちらした。

騒動がなんとかおさまったことろへ、顛末を見ていた年配の女性のお客さんが私に近寄り
「私も一言あの男の人に言ってやろうと思ったんだけどね、やめといたワ。
あなたはまだ若いからわからないだろうけど、あぁいう頭のおかしい人には、
ハイハイ言ってればいいのよ。何も言っちゃだめ。あなたが正しいのは分かるけど、
ハイハイって言ってればいいの。ああいう人って何するかわからないんだから。
若いから分からないと思うから教えてあげるワ」と言われたことがある。

この言葉に、心底脱力し怒りを覚え、えもいわれぬ怖さを感じたのを思い出す。

日本であれ、イタリアであれ、どこであれ、トンデモさんはどこにでもいる。

私にとっては、迷惑行為などを行う人たちに対して、人々がどう接しているかというのは、
大事な心の安全基準になっている。

東京という大都会に通っていたためか、こんなえもいわれぬ怖さを感じることが多くあった。今は田舎という場所柄か、それともたまたまか、はたまたお国柄かは分かりかねるが、怒れる大人を見ることが増えたことで、この種の怖さは少ない。

先日、ミラノに住む子持ちで大学生のご婦人に
「最近、イタリアは人が悪くなってきててね。。」と言われ、それに対して
「そうですかぁ、日本もですねぇ」との私の答えに
「日本ほどじゃないけどね」とご婦人。

返す言葉が見つからなかった。。。
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by zefiro04 | 2005-01-17 23:21 | ひと
教師志望のチェコ人
アンナは25歳のチェコ人。
178cmの長身に、女マリリン・マンソンってな風貌。
同じイタリア語のクラスだ。

彼女は教師志望だが、大学卒業後はすぐに教師にはならず、色々な国をまわり
見聞を広めてから自国のチェコで教師になるつもりだとか。

インタ-ネットでベビ-シッタ-のボランティアがあるのを知り、
イタリアへやって来た。このボランティアは、国が行っているプロジェクト。
小額だが報酬ももらえる。

子供たちに接することができるのもだが、イタリアという国がどのように、
どのようなシステムを用いて子供たちと関わっているのかを知ることができるので
とても勉強になると言っていた。

彼女はまだイタリアに来て三ヶ月だというのに、かなり話せる。。
チェコ人にとっても、イタリア語はさほど難しくないのだそうだ。
それに、毎日子供たちと話しているしね。とも言っていた。

なんだか、「いいなあ~」と感じ入ってしまった。

人に教えるには、豊富な知識と経験が必要だと考え
ボランティアなどを自分で探し、フワリと国境を越えて経験を積みにやってくる。。。
こんな人が教師になるのである。
生徒もさぞかし生徒冥利(?)につきるのではなかろうか(笑)

イタリア語をマスタ-したら、またどこか別の国へ行くのだそう。

この上達ぶりでは、イタリアを離れる日はそう遠くなさそうである。
私と彼女とのイタリア語上達の差は情熱の差かもな、とフと思ってしまうのでした。
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by zefiro04 | 2004-12-21 02:41 | ひと
奥様軍団
週一回。午前中コ-ス。生徒は全員女性。

先生は、無口なイタリア人男性。
(無口すぎて、日本語レベル判定不可能)

学生の頃、授業が午後からの日があったので、
午前中のイタリア語のクラスを受講したことがあります。

時間帯が遅めの午前中とあってか、家事を終えたと
おぼしき奥様方ばかりのクラスで、学生は私ひとりでした。

と、と、とにかく、スゴイ奥様方ばかりでした。。。

縦襟ヒラヒラのおブラウスに、ギラリと眩い光を放つ大型ダイヤを
お指に嵌めてらっしゃる奥様や、お年は60代と拝察させていただくも、
年齢知らずの黒々としたおぐしで、ルイ王朝時代の輝きを彷彿とさせる
縦巻きロ-ルに、お顔はフランス革命後の混沌とした時代をくぐり抜けて
きたかのような酸いも甘いも噛み分けたご面相の奥様などなど。。。

貧乏学生の私めには、ただただ羨望あるのみでした。。。
お時間とお金がおありになるのですね、と。

授業はどのようなものだったかというと、たびたび始まる日本語での
「お家自慢」に結構な時間を割かれるも、先生はただ傍観するのみ。。

「主人の仕事でドイツに行きました時に。。。」
「まぁ、いつ頃いらしてたの?私も。。。。」

先生&私「。。。。。。」

これが始まってしまうと、もう止まらない、止められない。

どんなベテラン教師も、この奥様軍団を止められるとは思えないので、
先生に非は無いと思っています。

そんなこんなで、授業は奥様サロンと化していたのですが
ある日、そんな奥様たちにとっての一大イベントと思われる課題が出て
しまったのです。

「来週は、家族について話し合うので、家族の写真を持ってきて下さい。
何を話すかも考えておいて下さいね」とのことでした。(イタリア語で)

そして翌週。。。
私は、弟と犬が写っている写真を一枚持って行きました。

奥様方は。。。。
先生は家族写真を持って来るように言いましたが、(大量の)「家族のメモリ-」
持って来いとは言いませんでした。。。

ある奥様は、5cmはあろうかというスナップ写真の束を。

ある奥様は、結婚式やお見合い写真に使う豪華版の写真入れに入った
お嬢様の成人式のお写真+大量のスナップ写真を。

ある奥様は、ご自分が主催されているお教室の発表会のチラシ+お教室の歴史の
大量のお写真+これまたスゲ-量のスナップ写真。。。。。。。

とにかくどの奥様も、他の奥様方に負けてたまるか、と言わんばかりの
量をご持参だったのです。

で、授業内容はというと。。。

写真をお使いになっての(日本語での)、ご自慢大会で、その日の授業は終了しました。
とほほ。。

その日、先生は私に優しく「なんで君は一枚しか持って来ないの?恥ずかしがり屋なの?」とお声をかけてくれました。

その時、私はハッとしました。
「これではいけない。この奥様方のように、自ら進んで自分を表現して行かなければ!
(イタリア語で)」と思ったのでした。

しかし、今でも、表現力と押し出しの弱さは相変わらずです。

このクラスで学んだことは、
「午前中のクラスを選択する時は慎重に!」ということで、
イタリア語上達度は限りなくゼロのクラスでした。
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by zefiro04 | 2004-11-04 05:36 | ひと
デキルひと
《中級》レベル。12回コ-ス。レベルテストなし。
時間午後。男性2人、女性4人。
一人を除いては、皆実力は似たり寄ったり。

先生は日本語を流暢に操るゴ-ジャス系美人のイタリア人。

《デキルひと》は最初から一線を画していました。
まず、授業が始まる前に一人ひとりにメモ帳片手に
「D です。あまり出来ないので、ご迷惑をおかけしてしまうかもしれませんが、
よろしくお願いしまース。まずはお名前教えて下さーい」。

年の頃は60代くらいでしょうか、非常にスッキリとした印象の、見目麗しい方です。
黙って座っているだけでも、話しかけさせていただきたくなるようなフインキが漂って
いました。

しかしこのご挨拶まわりで、私はある不安に襲われてしまいました。
「また授業料をドブに捨てそうな予感。。。」

かくして不安は的中となるのですが、この人のために通わなくなるのも
アホくさいので、通学することに。

先生は毎回最初に、週末何をしていたかを皆に聞きます。
まだ話すのがやっとこさ、という実力であるのと、周りとのバランスも考え
皆長くても5分は掛からない程度に収めて終わるのですが、Dさんは毎回、
ネイティブ顔負けのスピ-ドで短くても20分は一人舞台、最高記録は40分。

その上、誰かが分からず口ごもると、即座に「これはこう言うのよ!」と助け船。
先生がイタリア語で説明するのに対し、質問をすれば彼女が答えるという活躍ぶり。

最初は先生の補助的《?》役割に徹していたDさんが、同時通訳者へ、そしていつのまにやら誰かの質問にも、彼女が答えるという訳分からん状態に。

女性陣は貝になり、男性二人は、Dさんに挑むかのように先生に質問するも、横からDさんが答え、それを完全無視して話しを続ける、という状況。

「先生、仕切ってくれよー」私は心の中で叫ぶも、Dさんは、イタリア勤務を経験し、通訳、翻訳もこなす百戦錬磨のスゴウデ《Dさんの最初の短くても20分のスピ-チより》

若いピチピチイタリア-ナに仕切れようはずもなく、教室は重苦しい雰囲気に。

そんな煮詰まって来た頃、一度だけDさんがお休みしたことがあります。
休む前の週に、自から説明されたところによると、世界的にも有名な某雑誌のパ-ティーで通訳の仕事があるから、とのことでした。

Dさんの居ない授業は、いつになく和やかな雰囲気。

帰りがけ、同じクラスのAさんが「これが普通の授業だよね。。。」と静かにポツリと呟いたのが印象的でした。

次の週に復活したDさんが、いつもよりパワフルだったのは、ご想像通りです。

この日、先生は私に最近見た映画はあるか?と質問されました。
私はイタリアもののタイトルをあげたように記憶しています。

しかし、どうやらこの映画はDさんのお気に入りだったらしく、いつにも増してのダンガント-クが炸裂してしまいました。

「しまったー。見なさそうなアメリカモノにしときゃ良かった。。」後悔先に立たず。
私は映画のタイトルを答えただけで、発言は終了。

この日のことは、ため息をつく程度の出来事ではありましたが、授業も後半になり、
小さなヤレヤレがかなり溜まっていたこともあり、私はDさんを疎ましく感じていました。

帰りがけ、Aさんに「またこのクラスを継続する?」と聞かれ、授業の始まる前にDさんが
「また皆さん楽しく勉強しましょうよお」と誘っていたことを話しました。
Aさんは即答で「彼女が居るなら辞める」と一言。私も「そうですよね~」と激しく同意しました。

次の週、少し早めについた私が、教室前で顔見知りと立ち話しをしているところへ、
Dさんが小さな新聞の切り抜きを私に見せに来ました。それは、先週私がタイトルを挙げた映画の放送紹介でした。とても小さい記事を、定規を使ったようにキチンと切り抜いてありまた。
Dさんは「あなたが話していたから」と私のために切り抜いてきてくれたのです。

私は、こんなに優秀なDさんが教室に通い続ける理由を理解しました。

彼女は《友達》を探しに来ていたのです。

哀れと、今までの疎ましさとの入り混じった複雑な感情に襲われ「はあ~」としか答えられませんでした。
こんなに輝かしいキャリア、素晴らしいご主人。。。皆から「お近づきになりたい」と思われる要素満載の彼女が友達を探しに来ているのです。

そして、彼女の行動が走馬灯のように思い出されました。
いつも早くに教室に入り、誰かに話しかける。しかし気づいていたのでしょうか。
誰も授業の直前にならないと教室に入らない理由を。

ほぼ毎回、皆にお菓子などの手土産を持って一生懸命話し掛けている姿と、
私がすでに「観た」と言った映画の放送予定を持ってくる、
心細やかだけど、ズレた心づかい

いつもシャキッとして聡明な彼女が、孤独な老婆に見えてしまいました。

Dさんは、黙っていれば人を惹き付けずにはいられない雰囲気がある方です。
とてもお優しい方でもあります。
でも「ウゼ--」のです。彼女のあれだけの魅力を持ってしても、この「ウゼ--」の
方が重いのです。

多分、そう感じたのは私だけではないように思います。
あれだけ饒舌なDさんの口から、個人的に親しいとして話されたお友達の話題が
思い出せません。

華やかな交友関係、輝かしいキャリアに関する数々の話。。。

結局、私はこのクラスの継続受講を希望しませんでした。
後で、このクラスの受講希望者の人数が足りなくて閉鎖になったのを知りました。

しばらくして、たまたま手に取ったある雑誌のインタビュ-記事を読んだ時、
訳者にDさんの名が記されていました。

彼女はまだイタリア語を習いに、自分のレベルとはかけ離れたクラスに通っているのでしょうか。

クラス分けテストは必要かもナ。。。
と、思った3ヶ月でした。

小説・詩・読み物
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by zefiro04 | 2004-11-03 17:46 | ひと
ル-ツ
私が通う語学学校に、一人のドイツ人女性がいる。
年の頃は40歳くらいだろうか。
彼女は生まれも育ちもドイツ。旦那も家族も親戚もドイツ人と
いう生粋のドイツ人である。話すイタリア語もドイツ語訛り。

しかし彼女曰く、彼女はドイツ人ではなく「イタリア-ナ」なのだ
そうだ。

最初は受け狙いか、イタリアが好きで、心情的にイタリア人だと
思いたいだけなのかと思っていたのだが、どうやらそうではないらしく
本気でイタリア人だと思っているらしい。

その理由というのは、ドイツに居た時に勤めていた会社で、
度々イタリアはヴェロ-ナを訪れていたからだ。という。

ハテナ?

先日も授業中にこの話しになり、先生と意見の噛み合わない
やりとりを繰り広げていた。結局は先生の根負けで、「まあ、どうでも
ええがな」ということで議論は終了。

彼女は、自分と旦那さんの両親が亡くなったのを機に「ドイツを捨て」
イタリアへ移住してきたのだそうだ。「ドイツでの人生は終わった」とも
言っていた。

私は日本人だ。
どこに住んでいようが、日本人であることに変わりはないし
この事実は変わらない。イタリアでこの先暮らして行くことを選択したが、
「日本を捨てた」とは思っていない。

もしかしたら、彼女は祖国で祖国を捨てたくなるような出来事があった
のかもしれない。祖国を捨てたくなるような事実。。。
ドイツで戦争している話しというのも聞かないし。。某国のような圧制が
行われているとも聞かないし。。。あとは何でしょう。

人生経験の浅い私の想像の域を超えた何事かがあったのかもしれない。。。

その昔知り合いがドイツに留学していた時、下宿先の大家のおばさんが
亡くなり遺品を整理していたら、彼女は戦時中に強制収容所で過ごした
体験を持つユダヤ人であることが分かったのだそうだ。
戦後はユダヤ人である事を隠し、ドイツ人として生涯独身を通し、ひっそりと
暮らしていたのだ。という話しをしてくれたことがある。

この大家さんは、戦前の恐怖体験から身分を隠していたのかもしれないが
自分がユダヤ人であるということを、自分の中でまで否定していたのだろうか。。。
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by zefiro04 | 2004-10-27 20:27 | ひと


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