伊語とイタリアふつう生活 
by zefiro04
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溝になやむ
相方が通う剣道の練習場に、ある日本人の先生が教えにやってきて、
練習後に先生を囲んで食事をする機会があった。

先生は剣道は技術面だけでなく、精神的な部分も同時に学んでこそだという
考えを持っていて、「日本の精神」「武士道」などなども絶えず勉強されている。

こりゃ、スゴイ。筋金入ってまッス。

それをここで先生もみなに伝えたかったし、イタリア人剣道愛好家たちも聞きたかったわけだが、言葉の壁が。。。ということで、この場にいた日本人が私ひとりだったこともあり、中ば強引に先生の正面に座らされた。(私に訳させようとの魂胆だったらしい。。。ムリだろ。。)

とにかく先生の話しは深くて面白い。

そんな話の合間、合間に「ハイ、訳して」と、先生。
どんな話しが聞けるのだろうと興味津々なイタリア人剣道愛好家。
んなもんムズカシくて訳せるかい!と冷汗たらりのダメな私。。。

とりあえず「ダメです、私。。」と視線を彼らに送ってみる。
一斉に「ウオォ!とりあえず言うだけ言うてみろ!」と彼ら。

まぁ仕方ない。やるしかないだろう。期待に添えずともボランティアなんで許して欲しい。

で、まあ色々試みたわけですが。。。

何が難しいって、そのままを彼らに訳しても通じないことだ。
って、それすら難しい語学力の私に、先生&彼らの期待に添えようはずもない。

例えば、「もう一人の自分がいて、そのもう一人の自分が絶えず自分をコントロ-ルしてなきゃイカンのだな」というのを、「常に冷静なもうひとりの自分が、自分をコントロ-ルしていなければならない」ってな感じで訳を試みてみた。

すると。。。
「もう一人の自分ったって、自分はひとりじゃないか。どうやってもう一人の自分が自分をコントロ-ルするんじゃ」とギモンの嵐。。。

とりあえず、熱くなった自分を見張る自分が必要なんよ、と説明するもどうも釈然としないらしい。三輪明宏氏の言葉を借りれば、「体はどんなに熱くても、頭はいつでもク-ルでなきゃだめなのよん」ってところだろ。

しかし、どうにもこうにも通じんかった。。。

日本人からしたら、この手のことをイメ-ジするのは容易いような気がする。
でも彼らに関わらず、イタリア人にはムズカシイらしい。
この日の食事会に参加したイタリア人の中には、この手の本を多読精読している人もいた。
だが、ムズカシイらしい。(もちろん、私の語学力不足もあるだろう。。トホ~。。)
  
そこでハタと思った。

一般的にイタリア人は現実主義者だと言われている(迷信深い人は多いみたいだが。。。)。
俳優のマストロヤンニが晩年に出演した舞台で、亡くなった妻と話す元老教授って役を演じた時、この設定が随分と話題になったというのも聞いたことがある。

日本人からすれば、真新しい設定ではない気がするが。。。

目に見えないものの存在やイメ-ジを持つのは難しいということか。    

だとすると、日本人の当たり前の感覚に、イタリア人には当たり前ではない感覚を考慮して、溝を埋めるかたちで訳さないと分かってもらえないわけ、か。。。

では、どう訳す?

次回の食事会でのリベンジを誓ってはみたものの、この溝を埋めるべくイタリア人の感覚をも知らねばならぬのか。。。ウムム。。。と気が遠くなって行く自分を励ます今日この頃なのでありました。。。
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by zefiro04 | 2005-01-30 07:03 | ことば
オシエル楽しみ
最近、ミラノの金融関係に勤めるイタリア人青年に日本語を教え始めた。
日本が好き」が日本語を勉強する動機。

単純に、ウレシイ

日本語を話せる外国人が増えたらどんなにイイだろう(だろう~)と常日頃思っている私にはなんともウレシイ限り。

空いた時間を見つけては、独学を続けてきたということで、ひらがな、カタカナはもとより、漢字も多少解せる。そしてたびたびシビレる質問をしてくれる。

チャッテ、ってなんですか?チャッテチャッテチャッテ。。。ってノ-トに何度も書いて覚えたい思っても、意味あまり分かりいません」

ほっ、って辞書ないません。プラプラはわかりせん」などなど。。。

当たり前だが、彼にとっては分からないことだらけ。

そんな彼の期待に応えるべく、日本語の研鑽を積む毎日(?)。
といっても、日本語だけじゃレッスンはスム-ズに行く状態ではないので、相変わらずサボリ気味ではあるが、自分のイタリア語の勉強も進めつつ、私が日伊の言語の違いで理解しがたいところなどを取り出したり、自分の話す日本語の構造を説明できるか練習してみたり。。。イタリア語でなんとかシンプルで分かり易く理解できるようイタリア語とも格闘している。

シンプルで分かり易く表現する。

これがなんともムズカシイ。母国語とはいえ、むずかしく奥が深いと感じる日本語を、イタリア語を交えつつ教えて行く。頭イタ~。と思い悩むも、日本語の美しさと面白さ、表現力の幅広さのドつぼにはまってしまっている。

ホント、面白いです。日本語

こういった形で教えるというのは初めての経験だが、先生になりたいという人たちの気持ちも
分かる気がする。金八先生が生徒を愛する気持ちも理解できる。

う~ム。なんだか成長したんじゃないか?私。
なんて、ほくそ微えんでいる。
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by zefiro04 | 2005-01-25 03:49
味のボクシング
モスタルダと呼ばれる果物のピクルスがある。
トロリとした液体の中に緑や黄色、赤といったカラフルな色彩の果物が
漬けられていて、びん詰めされスーパーなどで販売されている。

甘い....
見ただけでノドが痛くなるほどの甘さとかわいらしい外見。。。
だが見た目に反してこれはカライのだ。

これをゴルゴンゾーラという種類のチーズと一緒に食べる。

コントラストを味わうために」この食べ合わせをするのだそうだ。

なんとも言えぬ味わい。。
頭の中にはすでに「甘い」がインプットされているのに、
舌はカライとゴルゴンゾーラが凌ぎをけずる。
頭から発せられる味覚は甘い・あまい・あまいハズ?。。
しかし舌はカライ・くさい・カライんだかなんだか。。。
混乱。
なんと表現すべきか。。。

見た目から想像する味と、実際の味がこうも違うと、頭の固い私には
食べることを楽しむところまで行き着かず、頭と舌が混乱しているうちに
食事が終わってしまう感じだ。

なにか裏切られたような、弄ばれたような。。。??
とにもかくにも、今までに考え付かないような味覚でありました。
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by zefiro04 | 2005-01-24 18:10
脳柔度
年末の英語の講習会の参加者は、個性的な人物が多くなかなか楽しめた。
その中に、みなから「シィニョ-ラ」と親しみを込めてよばれる、80歳前後の老婦人が参加していた。頭にメガネを粋にのせ、ヒョウ柄の毛皮を着て颯爽と現れ、ガラガラ声で「チャ--オ」と挨拶し、気ままな時間にやって来る。

そんなシィニョ-ラとたまたま席が隣合わせたことをきっかけに、
講師から「わかんないことは彼女に聞いてね」(丸投げかっ!?)と私に任されることに。

シィニョ-ラはフランス、スペイン語は分かるが、英語はエービーシーの読み方も初めてであるとのことで、大学生の補習と化してしまった授業について行くのは当然、困難。。。。
このレベル差で分からないところはバンバン質問しまくりの生徒たちを、新米先生に仕切れようもはずもなく、とりあえず超初心者の質問を答える相手として私を指名した、というわけだ。

ご指名を受けた時は「ヴぇ?!」と声にならない声を発しそうになったが(伊語も英語もまずい私にゃ荷が重すぎる。。)これが意外に勉強になり、おもしろい経験になった。

シィニョ-ラとのやりとりはイタリア語で、主に単語の意味や発音を教えたりする。
英→伊語、その反対もしかりでのやりとりをするので、今までになかった頭の使い方を体験することができた。

このシィニョ-ラ、短気なお方で、思うように理解が進まないと、イタリア人特有のジェスチャ-で5本の指の先端を合わせて上下に揺らし、イライラ感を露にする。

人は年とともにまるくなるというのは、ウソだな。。。
などと、自分の教え方のまずさは棚にあげ、ひとりごちながらシニョ-ラの学習のお供をさせていただいていた。

ある時、「ちょっと、やっぱりこの発音、だと思うのよ。んんん。。テよテ」と何度も読みかたを教えたはずの「The」という発音に納得がいかないとシィニョ-ラが問いかけてきた。
「いえ、です。私は英語ができませんが、これはここでは自信をもってです」の私の答えにいつものイライラジェスチャ-で
「あんたねぇ。日本人だったら、テぐらい読めないと恥ずかしいわヨ!」と一喝されてしまった。。。

目からウロコ。。。

上手く説明できないが、ガツ-ンと衝撃を感じてしまった。
、なんて考えたことなかった。。。テって、お茶のテか。。。

もしかしたら思い込みで、語学に限らず可能性を狭めてしまっていることが沢山あるんじゃないか?そんなところにシィニョ-ラの言葉から考えが行き着いてしまった。。。。

最終日にシィニョ-ラに「なぜ英語を始めようと思ったんですか?」と聞いてみた。

「あんたねぇ、いまどき英語ぐらい話せなくてどうすんのよ」とシィニョ-ラ。
「。。。。。」

年をとっているのは私のほうかもしれない。。。
と変化に弱く頭の固い私を考え込ませてくれる出会いであった。。。
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by zefiro04 | 2005-01-21 23:38 | ひと
怒れる人
バスが停留場で止まったおり、運転手が4人がけの向かい合わせの座席に座っている学生が前の座席に土足で足を乗せているのに気付いたらしく

「これは俺のバスだ。座席に足を乗せるのはやめてくれ!俺と俺のバスに敬意を払ってくれ!」と言い放った。

イタリアは人が悪くなってきた。。と言うイタリア人の言葉を何度か耳にしたことがある。
確かに、たびたび傍若無人ぶりが目にあまる人たちにも出くわすが、
同時にその彼らに怒れる大人も、私は目にしてきた。

そして、その度に私は「安心」を感じている自分に気付く。
危険に迫られても、誰かが手をさしのべてくれるのでは、と思える「安心」だ。

以前、都内でアルバイトをしている時、仕事上の義務から、あるお客さんに注意をしたことがある。「申し訳ありませんが。。。」という形でだが、そのお客さんは逆ギレで
「お客の俺になに言いやがる!」と大声で怒鳴りちらした。

騒動がなんとかおさまったことろへ、顛末を見ていた年配の女性のお客さんが私に近寄り
「私も一言あの男の人に言ってやろうと思ったんだけどね、やめといたワ。
あなたはまだ若いからわからないだろうけど、あぁいう頭のおかしい人には、
ハイハイ言ってればいいのよ。何も言っちゃだめ。あなたが正しいのは分かるけど、
ハイハイって言ってればいいの。ああいう人って何するかわからないんだから。
若いから分からないと思うから教えてあげるワ」と言われたことがある。

この言葉に、心底脱力し怒りを覚え、えもいわれぬ怖さを感じたのを思い出す。

日本であれ、イタリアであれ、どこであれ、トンデモさんはどこにでもいる。

私にとっては、迷惑行為などを行う人たちに対して、人々がどう接しているかというのは、
大事な心の安全基準になっている。

東京という大都会に通っていたためか、こんなえもいわれぬ怖さを感じることが多くあった。今は田舎という場所柄か、それともたまたまか、はたまたお国柄かは分かりかねるが、怒れる大人を見ることが増えたことで、この種の怖さは少ない。

先日、ミラノに住む子持ちで大学生のご婦人に
「最近、イタリアは人が悪くなってきててね。。」と言われ、それに対して
「そうですかぁ、日本もですねぇ」との私の答えに
「日本ほどじゃないけどね」とご婦人。

返す言葉が見つからなかった。。。
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by zefiro04 | 2005-01-17 23:21 | ひと
「禅」に少し触れてみる
夕飯を食べている時、おもむろに相方が「あぁ、そうそう、面白い話しがあるんだ~」と本棚へ行き、本を一冊持ってきて片手に本、片手に箸を持ち、食事を続けながら朗読しはじめた。

以下はその(おもしろい?)話

Senza dèi nè capelli

Una volta, molto tempo fa, un eremita con il cranio rasato viaggiava
in compagnia dell'adorata sposa. Lungo il cammino, la donna avverte
lo stimolo di orinare e si accinge a farlo, ai margini di una strada deserta.
Il marito la ferma.
 《Che intendi fare?Questo luogo è consacrato.》
 La donna si trattiene, e un poco piu lontano chiede al marito:
 《E qui ? si può farlo?》
 《Non se ne parla neppure! Questo luogo è consacrato al dio delle quattro stagioni.》
 La donna si trattiene ancora, e un poco più avanti, vede la riva di un fiume.
 《Qui va bene? Si` , la farò qui》disse.
 《No, anche qui è probito: è un luogo sacro al dio dell`acqua.》
 La donna piange, perché lo stimolo è intenso. E intanto le si è sciolto il laccetto di una scarpadi tela, ma non può accovacciarsi per riannodarlo, perché le si comprimerebbe la vascica. Prega il marito di riallacciarle la calzatura. Lui si china, e mentre le sta riannodando il piccolo laccio,
la donna, ormai incapace di trattenersi, orina sul suo cranio nudo. Il marito si indigna, ma la donna spiega:
 《Ovunque, in questa montagna, ci sono dèi. Tutto è consacrato! Non c`è modo di orinare! Finalmente ho trovato un luogo dove non ci sono capelli, e ne ho approfittato. Non sei contento?》

※最後から2行目の「髪」は「神」とかけてるんですね。

この話しは下記の本に掲載されています。
LA TAZZA E IL BASTONE
111 storie Zen narrate dal Maestro Taizen Deshimaru

OSCAR MONDADORI

まだパラパラとめくっただけですが、一話がどれも短く纏められていて読みやすいです。
111話収録されています。

相方の本棚には日本関係のこういった本がたんまりとあるので、本棚にある本のみならず
日本関係の書物や記事など、イタリアではどのように日本が紹介されているのかを、折をみて少しずつ紹介して行ければと思っています。もしご興味あらばお付き合いくださいませ。
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by zefiro04 | 2005-01-15 08:46 | ことば
悠久の流れに架けられた橋
数年前、友人に誘われ車で北イタリアを2~3日まわったことがある。
その途中で、「紀元前に造られた橋があるので、見に行こう」と誘われ予定になかった場所を訪れることになった。

彼女は知り合いの建築家に一度連れて来てもらったことがあるそうだが、私と二人で行った時には場所の記憶はおぼろげで、道すがら人に聞くも地元の人でも知らない人がいたりと目的地に辿り着くまでには少々難儀した。

彼女は「知らない」と答えた地元の人に小さく「恥ずかしい。。」とつぶやいた。

橋はさほど高くない山の中腹あたりにある。橋のすぐ近くには2、3軒の民家があるが、周囲は山、山、山に囲まれていて、視界に入る色は木々の緑一色といったところ。

民家から数十歩あるくと、橋がある。

橋だ。。。

茶色く頑丈そうな橋は隣の山とに架けられている。
見た瞬間は心動かされるものは何もなかったが、紀元前に架けられた橋の歴史に想いを馳せると、橋を行来きした人々、動物がゆらゆらと立ち昇ってくるようで、自分の属している世界観が揺らいでくる気がする。

ざぁざぁざぁざぁざぁ

橋の下を途切れなく、激しく水が流れ、みずの音以外には鳥のなき声、木々が風に吹かれた時に揺れる音のみ。。。

落ち込んだり、嫌なことがあるとこの橋のことを思い出す。

嫌なことが消えるわけではないし、落ち込みからすぐに立ち上がれるわけでもないけれど、そんな悩みが小さく、ほんうとに小さいものに感じられ、重かった何かがふわんと軽くなる気がする。。。

帰国後、本屋でこの橋のことが書かれているガイドブックや本を探したが、見つからなかった。しかし今もこの橋は存在し、人知れず山奥の中でひっそりと時を見守り続けている。。。
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by zefiro04 | 2005-01-14 04:41 | そんな旅もありました
イタリア人にとって、英語はムズカシイか?
12月に、求職者のための無料の英語基礎講座に一週間ほど通った。
公的なものだが、某派遣会社と協力して、求職者に職を!と開催された良心的な講座。
だが約20名ほどの参加者たちの顔ぶれは、求職者は3~4名。年金生活者が2~3名と、
あとは英語が苦手な大学生たち、と私。

この講座は、基本的には求職者を対象にしたものだが(求職者以外でも参加OK)、
上記のような顔ぶれだったため「仕事で使えそうな基本的英語表現の習得」という本来の目的を大いに逸れ、だんだんと「試験でつまづきそうな箇所の克服」という内容になっていった。

そこで、ある大学生のお兄ちゃんが「どうしても分からん!」と、
詳しい説明を求めたのが。。。やはり「冠詞」、そして「前置詞」。

「なんで、英語のはこんなに意味がわからんのダ??」から、
数人の大学生から「納得の行く説明が欲しい!」と講師に要求するも、
28歳、教師経験ナシ。のイタリア-ナに説明できようはずもない。
個人的観察では、彼女の英語の実力のほどはハテナである。   

(こういった講座に派遣されてくる講師さんは、若く教師経験も浅い人がほとんどで、
自身も勉強中という人が多いそう だ)。

そんな苦しい状況に置かれた彼女は、異国民の私に質問を振ってきた。
最初「ゲッ、分かるわけないがな!」と冷汗をかいたが、「これは良い機会かも。。」と
思い直し、日頃の(ちょっと本題とはそれる)ギモンを彼らに聞いてみた。

「イタリア人が分かんないものを、母国語が日本語の、私のような人に分かるわけないわよ。
日→英よりも、伊→英のほうがずっと近いと思うし、いくら違うからっていっても伊語と英語って似てるところも多い気がするし。。。日本人が感じるほどの難しさをイタリア人が感じてるとは思えないんだけど。。。。イタリア人にとって何がなぜ難しいのかが私にはわかんないわぁ」との問いに
「オ~ノ~、全然違うよ。分かんないことだらけ」と大学生たち。
結局、何も分からずじまいだった。残念。。

一般的にイタリア人は英語が苦手と言われているが、
私が知るイタリア人には英語を得意とする人が何人かいて、ある人には
「日本人は英語が苦手って聞くけど、なぜなの?
英語なんて、言語のうちにもはいらないくらい簡単じゃない」なんて言われたこともある。

言語習得度の差は、やはりセンスなのか??。。。

「努力だよ。努力」と言われたこともあるが、それはすでにセンスを持ち合わせている人+努力。という意味だったのか?。。。

考えるだに落ち込むので、このへんで。。。

ちなみに、友人のイタリア人曰く
「ヨ-ロッパで一番他の言語を習得するのが得意なのはオランダ人なのよ」とのこと。

うらやましい限りです。。
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by zefiro04 | 2005-01-13 00:25 | ことば
神のジオラマ
1月初旬の天気の良い寒い日、思いもかけず車で山を登る機会を得た。

ウィンタースポーツと温泉で有名な町の麓から、車で20分ほどのぼったところに、
バーベキューのできる小さなピクニック場がある。といっても、火をおこすための石を積み上げたバーベキュー台と椅子とテーブルーがいくつか置いてあるだけだ。

四方はアルプスの山々に囲まれ、空は真っ青。ひとつの雲も浮いていない。
山々は太陽の影の加減で大きく表情を変える。
日が当たらないために雪が溶けず真っ白であったり、その反対に日が燦々と当たり、深い緑で覆われているもの、砂の地肌が見えているもの、表情は様々だ。

それにしても静かで。。。。信じられないくらいの静けさで、風もなく、
何も動くものがない明るい日の光の中、寒さに震えていたら、不思議な感覚に襲われた。

「神がジオラマをつくっていて、その一部の飾りとして私たちを置いてみたのじゃないか?」

本気でそう思えるほど、非現実的に美しい景色の中にいた。

そんなことを考えいて数分がたったころ、親子連れ三人がやってきて車を降りた。
私たちの座っているところからだと、彼らは私の親指第一関節ほどの大きさだ。
けっこう離れていると思うが、彼らが歩く時に蹴る砂の音が聞こえる。

ジャッ、ジャッ

その音が遠くから聞こえてくるのか、近くからなのか音の距離感がつかめない中、
隣に座っている相方に
「この景色って、神がつくったジオラマみたいじゃない?神がこの山のどこかから覗き込んでたりして~で、やっぱり人でも置かないとさびしいからってことで私たちがいるわけよ。どお?」と言ってみたら
「ディオラマ。。。プふふふふぅ。。」
「。。。?もしかして、神のディオとかけてディオラマとか言っちゃった?」
「そうそう、プふふふふ」
「ハぁ。。。。」

アダムとイヴの話しがあったけど、神は彼らを創る時に性格や個性はインプットしたのだろうか。。。していたとしても、相方のようではないだろな~と、ディオラマの一言で現実に引き戻され、フッと思ってしまった。

それと、「あれっ」と思ったことがある。
ここにはひとつもゴミ箱が置かれていないのに、ひとつもゴミが落ちていないのだ。
これだけの美しい景色を前にすると、ゴミを捨てる気が起きないのだろうか。。。
それともこの景色はやはりディオラマで、ゴミは神の望む存在ではないということなのか。。。
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by zefiro04 | 2005-01-11 05:06 | そんな旅もありました


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