伊語とイタリアふつう生活 
by zefiro04
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ヤルセナサ
最近、政治に興味があったりしマス。

昔から全然興味がなかったわけではないんスけど、最近とみにってとこでございます。

本当はかなーり政治のことについては避けていたのですよ。というのは、高校の時に社会の先生から反日教育を受けてですね、「なんでこの人はこんなに自虐的なわけ?自分の国のことなのにさぁ。どーも嘘臭い。。」と昔から人の言うことは、嘘か本当か、なぜか。を自分なりにフィルターかけるとこがあるんですが、なんかこぅ引っかかりまくりで保留にしといたのでした。当時はネットなんてのもなかったしで、゛本当のところ゛ってのは調べようもなく、変な情報に踊らされたくないなぁ。なんてのもあって、興味保留(?)になってたのでありますが。。

イタリア来て、自分が好むと好まざるに関わらず、様々な外国人たちと接する上で、日本の歴史について、政治については目を逸らすわけにはいかない場面に時に直面するわけですな。もちろん、そんなんドーデモOKな外国人もいるわけですが、教養や知識ある外国人と対したとき、ベースになる歴史や政治、文化などの知識、それに基づく自分の意見がないと晒してしまうわけですよ、バカと無恥と無知を。

もち、私だけの個人バカ。と捉えてくれればいいわけですが、日本人のレベルとして捉える外国人もいるわけでございます。更にドーニカシテヨ。ってのには、アメリカ人とか中国人らが書いた都合の良いプロパガンダ本を読んだ知識を元に、さも知ったよーに日本は悪い国だとノタマウ外国人相手に言い返せなかったり、最悪は、そーなんですよぉ、日本は悪い国なんですよー。と同調しちゃう日本人もいたり。。

ナムサン。。

帰国時に、日本の防衛に携わる人と一緒にたまたまテレビのニュースを見ていたとき、北朝鮮の核実験のことが報道されてたんでございます。そのとき、その方はなんともヤルセナイ心情をおっしゃってました。。

私も、ヤルセナイヨ

日本人が自国の歴史を知らない。ってのは、もうこれは仕方ない。って言うたらカナシーですが、戦後にアメリカサマのご指導のもとに行った歴史教育、チューゴクにカンコクの内政干渉にえとせとらで、自分で情報を探し知ろうとしないなら知らないままで終わってしまうがフツーな世の中だし、楽しいこと満載だしでンなことどーでもいいじゃん。って気もちょっと分かるんスけど。。

やっぱ、ツミだと思うんですよねぇ

知らない、ってのは

本当はクールに「そんなん知ったこっちゃないし」とか「どーせ何も変わらないしさ」とかナナメに構えて、やれブランドだー、オトコだー、カネだーなどなどと生きるももちひとつかもしれないんスけど、そんなこと悠長に言うてられるのも、平和があるからなんだなぁ。と思うんでございマス。

そして平和ってのは、ただなんとなーくあるんじゃなくて、それを作り、維持してくれてる人たちが存在するんですな。でもその平和ってのが、実はかなーり危うくなってるんじゃないかと思うのですよ。

イタリアきて未だ内戦やってる国から来た人や、食べてけなくて祖国を逃げてきた人と接したり、今の日本の状況を見るにつけ、普通に生きてけることがどんなに゛当たり前゛でないことかというのが、海外に住んでヒョイと周りを見渡せば分かることなんですが。。

例えば、移民を大量に受け入れてしまったイタリアにいて、富裕な町と言われてたうちの町も、今やピザ屋よりも多いケバブ屋、メルカートと呼ばれる青空市場の約7割ぐらいを占める中国人やアラブ人たちのお店、公園いっぱいにたむろする東欧の人々、権利は主張するが義務を果たさず、馴染もうとしない外国人たち、職がなく仲間と固まって朝から酒を飲む人々。。

もちろんしっかりと納税して義務も果たし、馴染もうと努力をする人々もいますが、そうでない人々が見過ごせないぐらいに多いというのもまた事実。

先日、自分も外国人という立場にありながら、こんな町の状況を見て、「ここ、イタリアじゃないじゃーーん」と思わず嘆いたら、それを聞いたイタ友、「イタリア人と同じこと言ってるね。でもこの風景、近い将来の日本でもあるんじゃない?」と返されましたです。。

サモアリナン。。(大汗)

最近、NHKが『JAPANデビュー』という捏造番組をつくってネットでかなり話題になっとりマス。捏造番組つくるのにインタビューを悪用された方が、ディレクターに「アンタ、中共(中国共産党)の手先だろー」と聞いた。なんてのもありますが、こちらもサモアリナン。でもって。。

日本シンリャク計画っ、進行中っ

そんなこと、あるわけないじゃーん。常識で考えてー。なんて思っちゃう人は、世界の腹黒さを知らない善良(?)な人、とも言えるかもですが、悪く言えば平和ボケ。とも言えるのかもですねぇ

そして歴史を知らないってのは、騙されちゃうってことであります。こーいう番組見て。

ホントかい?と思う方いたら。。
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by zefiro04 | 2009-04-26 01:12
イワレルウチガハナ
日本帰って驚いたことのひとつには、地べたに座り込んでるワカモノを見なかったことでございマス。

べったーり座り込んでる人たちも居ましたが、話している言葉を聞くに日本人ではなかったです。

全く消えたわけじゃあないんでしょうが、あれだけ目にしていた光景を目にしなくなったってことは、激減したことは確かであるようデス。友ダチに会ったときに聞いてみたら、「あぁ、最近、マナー、マナーってうるさくなってさぁ。。それもなんか違うって気ぃするんだけどね」だそうで。

まだ地べたに座る人たちを目にしていたときには、他の人から「あれって、立ってられないんですよ。体弱くって」とか、「アフリカからアメリカに連れてこられて奴隷にされた人たちに、アメリカ人は地べたにベッタリ座らせてたらしっいすヨ。ほら、あの座り方だとすぐに動けないから。攻撃するにも時間かかるっしょ」。なんてとこから日本人ドレー化説(?)なるものも耳にもしたり。

気になって、以前に調べたことあるんですが、ペリーくんがやって来たあたりの日本人って、普通に地べたに座ってたんで、昔にやってたことが一度途切れてまたやり出しただけでフツーなこと。そんなお説を目にもしたりで結局よく分からんかったのですが。。

ただの流行、だったんですかねぇ

その昔のある日、電車に乗っていたら、ベタリと床に座る懐かしきガングロちゃんふたりがドアの前に陣取ってらっしゃったのですが、背広を着た方が降りるときにガングロちゃんたち少し通り道を空けたんでございますよ。でもこの背広の方、通り道を空けた彼女らにお礼を言わなかったってんで、「アイツさー、マナーなってなくねぇ??」とマナーについてを声高に議論されるおふたり。。

呆れた→笑った→ニッポンの将来を憂えてミタ。。

でもよくよく考えてみると、彼女らには彼女らなりのマナーへの想いっていうか、基準があることを知ったのでした。ただそれが自分たちの態度や行動が人の迷惑になっていることや公共性という観点なくして自分たちの側からのみの視点から議論されてるから変に感じたのですが。。

いや待てよ、゛恥゛って概念が根本的にケツラクしてるんじゃないだろうか。。いやいや違う、多分、多分、これだけ基準がズレてるってことは、公共でのどういった態度が゛ハズカシー゛かというのが分からないのか、知らないのか。。だから、マナー云々うるさく言われて詳しく説明されて初めて分かるのか?それとも世代によってマナーとか礼儀とかって違うのか??

分っからーん

でももし注意されて初めて分かったのが理由だとしたら、親や周りのオトナが教えてこなかったってことだから気の毒な気もするなぁ。。と考えてもみたりだったのでございマス。

実はですね、イタリア来てからある日本人の方から知らないとこでかなーり礼儀知らずなことをされたのですよ。それを教えてくれたのは日本人じゃない人でございまして、その後に国籍関係なく数人に話したところ、「国関係なく、ヤバイっしょ」ってのは共通してるのですが、「そんな失礼なこと裏で堂々としててバレないわけないじゃん。それ、バレるの分かっててやってるよ。じゃなきゃ本当のバカだよ」と言うてくれた人がいたのですが。。

゛分かってて゛やったんだろか??

見かけは上記のガングロちゃんたちみたいでなくても、マナーというか、礼儀というかジョーシキや恥の感覚というか善悪の判断というのかがスッポリ抜け落ちてるらしい方もお見かけするので、この「そりゃネーヨ」で皆ドンビキなことをされてた方も、私の中にインプットされてる過去の言動、行動から鑑みて、実はこのタイプに属するのではないか。。と疑ってみる私でございます。

(まぁ、その辺をツラツラ並べてみると、私も怪しいとこあるわけですが、さすがに電車の降車口に座りこんだり、背広さんが道を空けてくれた礼を言わなかっただろう理由ぐらいは想像つくし、皆が口を揃えて言う゛そりゃネーヨ゛なことをしてはイケナイことは判断ついとりマス)

で、このことに関してかなり怒ってはいるのですが、人からよく見られたい、知的でスッテキな人に見られたい。知的でスッテキな人たちとオツキアイした~い。と外見には日夜努力されてる方なのですが、やっぱ人としての土台がゆるいとバレちゃうんだなってのと、でもそんな願望と作り上げた外見に反した人間性とのギャップ、そういったものってどこかでポロリと出てしまうのだなぁ。と余りにもシツレイ極まりないことされたけど、ちょっと可哀想になってもみたり。。

お天道様が見てる゛とか、゛そんな恥ずかしいことしなさんな゛って子どものころから言ってくれる大人って今は少なくなっているんでせうか。。゛恥゛とか゛イケナイコト゛への概念が欠けてしまったままオトナと呼ばれる年齢に達した後に、そういったとこを埋め合わせることってできるのかしらん。。

とか言う私もよくポカっとやってしまうのですが、家族はもとより、仲の良い友らはそこんとこ注意してくれます。耳の痛~いとこではありますが、そういった信頼できる人たちからもらえる言葉はありがたくいただいてる次第。

言われるうちが華よ~

なんても言いますが、ホントだな。と、身に沁みるのでありました。
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by zefiro04 | 2009-04-14 20:35 | ほんの日常
目に見えないもの
あやうく火ダルマになって死にソーになりました。

不思議なことに、髪は前横後ろととこどろどころチリチリに焼けたのですが、顔は無事、左上半身を火に包まれるも少-し胸と背中に跡が残った以外は全然無事でございました。着ていた服も燃えカスになって体に張り付いてたんですが。。なんともナス。

不思議なぐらいなんともナス

思わず生きてることに感謝しちゃいましたよ、神さんに。

たまーになんですが、フとナニかを感じることがございます。別に霊とか神とかそんな霊能者的なことを言うんじゃこざいやせん。なんとなーく。ぐらいなこと。


イタリア人って、一般的に幽霊とかそういったモンって信じない民族のようです。

あるイタリア人と歩いているときに、元病院跡地を通り過ぎたので「うっわー、なんかコワイわ~」と私が言うと、なんで怖いって感じるのか分からんとキョトン。それがキッカケで色々話してみるに、どうやら幽霊とか念とかそういった目に見えないモンに対しての恐れや畏怖って感覚がその人には全然なかったんですよね。

他の数人のイタ人と話しをしてもそんな感じだった&図書館に行って、イタリア発の幽霊本なんてのも探してみたのですが、見つからなかったんで、一般的にはその辺の感覚は日本人とは異なるようであります。

なんつーか、即物的

って言っちゃうと短絡的でしょーかねぇ。。

3月は日本へ行ってたんですが、久々に感度高し~な友や人たちと会ったり、知人の知人ではあったのですが、初対面の占い師さんに声かけられてひょいっとドライブに同乗して、神域(?)っていうんでしょーか、そういう神聖な場所を通ってみたり、たまたま便乗できてニッポンの聖域である伊勢神宮に行き、ラッキーにも普通は入れない場所に入って、舞まで見せてもらっちゃったり。。

別にそういった中から何かが見えるようになったとかではないんですが、自分に纏っていた空気感が変わったというか、ちょっと汚れてたものが洗濯されてキレイになった気がした一時帰国でございました。

そんなことを思ったのはですね、やっぱこちらへいると私ってば外国人で、当たり前ですが日本にいるようなわけには行かないわけですよ、大抵何をするにも。

イタリアって、自然も多いし古い歴史あるものをのこしたりと良いとこも沢山あるんすけど、システムの悪さとか世知からい人の多さってのも凄まじいもんがあって、「なんか空気ピリピリしてんな」とか、「うっわー息苦しっ」、「イイ年こいて、そーいうことしちゃうっ?!!」なんてのや、ここにも随分書いてるんですが、自分さえ良ければイイ大人たちの振る舞い。。えとせとら、な場面に遭遇するたび、ドッと疲れてエネルギー値がダウンダウン~。となってしまうも、回復する手立てがえらく少ないこともあって、上手く言えないんですが、ヨドムんですよ、なんか。

そういったままならない状況下にあるのと、私なんかからしたら即物的(ぴったしくる言葉思い浮かばないんでとりあえずコレで)に感じられる社会に身を置いてると、なんつーかエネルギー消耗しちゃってるよなー、吸われるちゃってるなー。なんか濁ってきてんナー。って感じることが多いんスよねぇ。。

まぁ、そんなん気のせいかもしれないんですが。

そういったモクゲキ系でドッと来ることプラス、イヤーなことがあったり、会うとドッと疲れるというかエネルギー吸われたかもぉな人と遭った後とかとか、更に更にドヨンドヨンとしてくる気がするんですよね、空気がドヨン。

それを回復(?)するにも回復力がノロいのか、ダメージがデカすぎなのか分からないんですが、よどみがスッキリ取れなくて、溜まってく気がするんですよね。白いもん洗濯して、少しづつ煮しめたような色になってく感じ。

気のせいかもしれませんが。。

しばらくぶりに日本に戻って、どういって言いか分からんのですが、目に見えないものへの気づき(?)、う~ん、上手く言えませんが。。や、目に見えないものへの畏怖とか、日本的な良い意味での察しとか、そういったものって国関係なく人が生きて行く上で大切なんじゃないかナー。なんて思ったのでした(察しなんてのは、相手への想像力を要するわけだから、悪かないですよねぇ)

そういった目に見えないものが、空気をドヨンともさせ、空気を清浄化させもする。って気もするんですが、どうでしょ。

多分、自分が察し大国ニッポン出身ってのもあるのかもしれませんが(もち、゛察し゛が必ずしもいつでも良いことばかり。って意ではないですが。。)、でも良い意味で察し力が発揮できたら、人を思いやる気持ちにもつながってくと思うんで、社会の潤滑油にもなるんじゃないかナー。ドヨンな衝撃があっても、清浄化させる力も全体に満ちてると、ドヨンを溜め込むことも少ないんじゃないかしらぁんと考えてもみたり。


たまに周りのイタ人たちに、空気を読むとか、人に気を使うとか、調和をつくるというか探す、うーん、例えば皆でいてポツネンとしてる人がいたら、なに気なしに声かけて皆でイイ雰囲気になるよう気を使うとか。。

そういったことって大切なんよ、日本では

なんて話すと、「おぉ~、スンバラシイなニッポンはー」なぁんて言われたりします。

やっぱこういう感覚って、世界共通で良いことなんだと思うんですよね。ギスギスぴりぴり、他人は信用できず。なぁんて空気がふうわり漂う社会に身を置いて、しばらくぶりに日本帰って空気の洗濯(?)してきてヒシッと身に沁みて感じるのであります。

目に見えるものだけを信じるって分かりやすいんだけど、なんかゴーマンな気もしてみたり。でもイタ人ったら、教会に行く人もそこそこいるし、魔法に関する伝説(?)はあったりするんだけど、もっともっと身近なことに関する゛目に見えないこと゛には興味ないみたいなんですよね、ちょい不思議。

先日、マジで火だるまちゃんになりそになって、無事生還(?)して、「もしかして、助けてもらえたのかもなぁ」という考えが頭をよぎり、ちょっと考えちゃったのでありました。

信じるも八卦、信じないも八卦

でもこういう敬虔な気持ちや畏怖する気持ちは生きてく上で悪かないだろ。と思いマス。イタリアでは損ばっかしそうだけど(笑)
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by zefiro04 | 2009-04-02 04:15 | ほんの日常


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