夕飯を食べている時、おもむろに相方が「あぁ、そうそう、面白い話しがあるんだ~」と本棚へ行き、本を一冊持ってきて片手に本、片手に箸を持ち、食事を続けながら朗読しはじめた。
以下はその(おもしろい?)話 Senza dèi nè capelli Una volta, molto tempo fa, un eremita con il cranio rasato viaggiava in compagnia dell'adorata sposa. Lungo il cammino, la donna avverte lo stimolo di orinare e si accinge a farlo, ai margini di una strada deserta. Il marito la ferma. 《Che intendi fare?Questo luogo è consacrato.》 La donna si trattiene, e un poco piu lontano chiede al marito: 《E qui ? si può farlo?》 《Non se ne parla neppure! Questo luogo è consacrato al dio delle quattro stagioni.》 La donna si trattiene ancora, e un poco più avanti, vede la riva di un fiume. 《Qui va bene? Si` , la farò qui》disse. 《No, anche qui è probito: è un luogo sacro al dio dell`acqua.》 La donna piange, perché lo stimolo è intenso. E intanto le si è sciolto il laccetto di una scarpadi tela, ma non può accovacciarsi per riannodarlo, perché le si comprimerebbe la vascica. Prega il marito di riallacciarle la calzatura. Lui si china, e mentre le sta riannodando il piccolo laccio, la donna, ormai incapace di trattenersi, orina sul suo cranio nudo. Il marito si indigna, ma la donna spiega: 《Ovunque, in questa montagna, ci sono dèi. Tutto è consacrato! Non c`è modo di orinare! Finalmente ho trovato un luogo dove non ci sono capelli, e ne ho approfittato. Non sei contento?》 ※最後から2行目の「髪」は「神」とかけてるんですね。 この話しは下記の本に掲載されています。 LA TAZZA E IL BASTONE 111 storie Zen narrate dal Maestro Taizen Deshimaru OSCAR MONDADORI社 まだパラパラとめくっただけですが、一話がどれも短く纏められていて読みやすいです。 111話収録されています。 相方の本棚には日本関係のこういった本がたんまりとあるので、本棚にある本のみならず 日本関係の書物や記事など、イタリアではどのように日本が紹介されているのかを、折をみて少しずつ紹介して行ければと思っています。もしご興味あらばお付き合いくださいませ。 #
by zefiro04
| 2005-01-15 08:46
| ことば
数年前、友人に誘われ車で北イタリアを2~3日まわったことがある。
その途中で、「紀元前に造られた橋があるので、見に行こう」と誘われ予定になかった場所を訪れることになった。 彼女は知り合いの建築家に一度連れて来てもらったことがあるそうだが、私と二人で行った時には場所の記憶はおぼろげで、道すがら人に聞くも地元の人でも知らない人がいたりと目的地に辿り着くまでには少々難儀した。 彼女は「知らない」と答えた地元の人に小さく「恥ずかしい。。」とつぶやいた。 橋はさほど高くない山の中腹あたりにある。橋のすぐ近くには2、3軒の民家があるが、周囲は山、山、山に囲まれていて、視界に入る色は木々の緑一色といったところ。 民家から数十歩あるくと、橋がある。 橋だ。。。 茶色く頑丈そうな橋は隣の山とに架けられている。 見た瞬間は心動かされるものは何もなかったが、紀元前に架けられた橋の歴史に想いを馳せると、橋を行来きした人々、動物がゆらゆらと立ち昇ってくるようで、自分の属している世界観が揺らいでくる気がする。 ざぁざぁざぁざぁざぁ 橋の下を途切れなく、激しく水が流れ、みずの音以外には鳥のなき声、木々が風に吹かれた時に揺れる音のみ。。。 落ち込んだり、嫌なことがあるとこの橋のことを思い出す。 嫌なことが消えるわけではないし、落ち込みからすぐに立ち上がれるわけでもないけれど、そんな悩みが小さく、ほんうとに小さいものに感じられ、重かった何かがふわんと軽くなる気がする。。。 帰国後、本屋でこの橋のことが書かれているガイドブックや本を探したが、見つからなかった。しかし今もこの橋は存在し、人知れず山奥の中でひっそりと時を見守り続けている。。。 #
by zefiro04
| 2005-01-14 04:41
| そんな旅もありました
12月に、求職者のための無料の英語基礎講座に一週間ほど通った。
公的なものだが、某派遣会社と協力して、求職者に職を!と開催された良心的な講座。 だが約20名ほどの参加者たちの顔ぶれは、求職者は3~4名。年金生活者が2~3名と、 あとは英語が苦手な大学生たち、と私。 この講座は、基本的には求職者を対象にしたものだが(求職者以外でも参加OK)、 上記のような顔ぶれだったため「仕事で使えそうな基本的英語表現の習得」という本来の目的を大いに逸れ、だんだんと「試験でつまづきそうな箇所の克服」という内容になっていった。 そこで、ある大学生のお兄ちゃんが「どうしても分からん!」と、 詳しい説明を求めたのが。。。やはり「冠詞」、そして「前置詞」。 「なんで、英語のはこんなに意味がわからんのダ??」から、 数人の大学生から「納得の行く説明が欲しい!」と講師に要求するも、 28歳、教師経験ナシ。のイタリア-ナに説明できようはずもない。 個人的観察では、彼女の英語の実力のほどはハテナである。 (こういった講座に派遣されてくる講師さんは、若く教師経験も浅い人がほとんどで、 自身も勉強中という人が多いそう だ)。 そんな苦しい状況に置かれた彼女は、異国民の私に質問を振ってきた。 最初「ゲッ、分かるわけないがな!」と冷汗をかいたが、「これは良い機会かも。。」と 思い直し、日頃の(ちょっと本題とはそれる)ギモンを彼らに聞いてみた。 「イタリア人が分かんないものを、母国語が日本語の、私のような人に分かるわけないわよ。 日→英よりも、伊→英のほうがずっと近いと思うし、いくら違うからっていっても伊語と英語って似てるところも多い気がするし。。。日本人が感じるほどの難しさをイタリア人が感じてるとは思えないんだけど。。。。イタリア人にとって何がなぜ難しいのかが私にはわかんないわぁ」との問いに 「オ~ノ~、全然違うよ。分かんないことだらけ」と大学生たち。 結局、何も分からずじまいだった。残念。。 一般的にイタリア人は英語が苦手と言われているが、 私が知るイタリア人には英語を得意とする人が何人かいて、ある人には 「日本人は英語が苦手って聞くけど、なぜなの? 英語なんて、言語のうちにもはいらないくらい簡単じゃない」なんて言われたこともある。 言語習得度の差は、やはりセンスなのか??。。。 「努力だよ。努力」と言われたこともあるが、それはすでにセンスを持ち合わせている人+努力。という意味だったのか?。。。 考えるだに落ち込むので、このへんで。。。 ちなみに、友人のイタリア人曰く 「ヨ-ロッパで一番他の言語を習得するのが得意なのはオランダ人なのよ」とのこと。 うらやましい限りです。。 #
by zefiro04
| 2005-01-13 00:25
| ことば
1月初旬の天気の良い寒い日、思いもかけず車で山を登る機会を得た。
ウィンタースポーツと温泉で有名な町の麓から、車で20分ほどのぼったところに、 バーベキューのできる小さなピクニック場がある。といっても、火をおこすための石を積み上げたバーベキュー台と椅子とテーブルーがいくつか置いてあるだけだ。 四方はアルプスの山々に囲まれ、空は真っ青。ひとつの雲も浮いていない。 山々は太陽の影の加減で大きく表情を変える。 日が当たらないために雪が溶けず真っ白であったり、その反対に日が燦々と当たり、深い緑で覆われているもの、砂の地肌が見えているもの、表情は様々だ。 それにしても静かで。。。。信じられないくらいの静けさで、風もなく、 何も動くものがない明るい日の光の中、寒さに震えていたら、不思議な感覚に襲われた。 「神がジオラマをつくっていて、その一部の飾りとして私たちを置いてみたのじゃないか?」 本気でそう思えるほど、非現実的に美しい景色の中にいた。 そんなことを考えいて数分がたったころ、親子連れ三人がやってきて車を降りた。 私たちの座っているところからだと、彼らは私の親指第一関節ほどの大きさだ。 けっこう離れていると思うが、彼らが歩く時に蹴る砂の音が聞こえる。 ジャッ、ジャッ その音が遠くから聞こえてくるのか、近くからなのか音の距離感がつかめない中、 隣に座っている相方に 「この景色って、神がつくったジオラマみたいじゃない?神がこの山のどこかから覗き込んでたりして~で、やっぱり人でも置かないとさびしいからってことで私たちがいるわけよ。どお?」と言ってみたら 「ディオラマ。。。プふふふふぅ。。」 「。。。?もしかして、神のディオとかけてディオラマとか言っちゃった?」 「そうそう、プふふふふ」 「ハぁ。。。。」 アダムとイヴの話しがあったけど、神は彼らを創る時に性格や個性はインプットしたのだろうか。。。していたとしても、相方のようではないだろな~と、ディオラマの一言で現実に引き戻され、フッと思ってしまった。 それと、「あれっ」と思ったことがある。 ここにはひとつもゴミ箱が置かれていないのに、ひとつもゴミが落ちていないのだ。 これだけの美しい景色を前にすると、ゴミを捨てる気が起きないのだろうか。。。 それともこの景色はやはりディオラマで、ゴミは神の望む存在ではないということなのか。。。 #
by zefiro04
| 2005-01-11 05:06
| そんな旅もありました
イタリア人の銀行家のP氏と話しをする機会があった。
年の頃は60代であろうか。 恰幅が良く、白髪の知的な老紳士という趣。 親日家で、日本の文化にとても興味のある御仁だ。 日本人の名前には「意味」(親の願い、といった方が近いかな。。)があるのを知っていて、 私の名前の意味を聞かれたことから、言葉などについて話しをした。 P氏は、5ヶ国語を話す。 そこで、「ビジネスに一番有効な言語はどれだと思いますか?」と聞いてみた。 「ドイツ語かな。ズバッと論理的にビジネスライクに話しを進められる。 フランス語はビジネスには響きが甘すぎかなあ~。ワハハ」 「英語じゃないんですか?」との問いに。 「話す言葉によって、人格も変わるんだよね。だから、ドイツ語。ドイツ人のきっちりした性格はビジネスには最適だと思うからね。ワハハ」 そんな私たちの会話を聞いていたP氏の奥方様が 「あなた。。」と半ば呆れ顔で、P氏を見ていた。 どうやら、少しからかわれているらしい。。。 P氏は「哲学だよ。テ・ツ・ガ・ク。ワハハ」 最後に「家庭では何語で話しをするのが、一番イイと思います?」と聞くと 「そりゃあ、イタリア語だよ。ワハハ」 「人格も?」 「そりゃあそうさ!ワハハ」 なんとも明るく知的な銀行家さんであった。 #
by zefiro04
| 2004-12-29 03:22
| ことば
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